「コーヒーの力で、人々の人生を感動で満たす。」
株式会社鈴木コーヒー
代表取締役社長 佐藤俊輔さん

~佐藤さんプロフィール~
1980年生まれ。新潟市出身。関東の大学卒業後、アメリカへ留学。帰国、大手コーヒーメーカーに入社し、営業マンとして大活躍。東京ディズニーリゾートを運営する株式会社オリエンタルランドなどの担当営業として尽力した後、家業の株式会社 鈴木コーヒーへ入社。
Q.いきなりですがもしも今自分が、就活中の学生だとしたらどのような企業を選びますか。
A.この回答が今回の記事にとって良いかどうかは別として、経験則からの話になりますが、絶対新潟に残らず、一回外に出ます。でも、その時に大切なのはいつか新潟に戻るために出るということです。
その考え方って、すごく大事だなって僕は思って。なぜかと言うと、1度他都市で生きて、孤独の中で社会の厳しさを味わいながらそこで経験したことを持ち帰る人間は、やっぱりみんな強いなって周りを見てても思います。残ってる人がイケてないとかではないけど、一度外へ出て、また戻ってきた人の視野や視座っていうのは全然違うなと感じることが多くあります。
最終的には、外の学びを持ち帰り、自分たちの地域のことを考えて世のために活躍していくことを自分はすごく大切にしています。出ることを防ぐ発想よりも、いつか戻ってくるというような風土を作っていくことが今の時代大切だと思います。
Q.戻ってきたくなるような県づくり、どのようにしたらできると思いますか。
A.多分みんな好きなはずなんですよね、地元のことって。日本中の人々がそうだと思っています。でも、そう思いながらも、新潟って創業率が全国最下位だったり、チャレンジする風土みたいなものが少ないんだろうなって思います。
よく言われる何かと保守的な県民性だったり。でも、逆を言えば老舗企業は全国トップクラスなんですよ。これは、本当に素晴らしいことだと思います。
新潟県民は冬を経験するから、元来、我慢強い民族なんですよ。1年を10ヶ月で見なさいっていつも言われてきました。冬が来たらもう仕事にならないから。だからそれぐらい我慢強くて、賢いので新潟でビジネス成功させてる人って、東京に進出したりすると成功することが多いイメージです。
厳しい環境の新潟で成功させるっていうのは全国で通用する人間になれると思っています。だからチャレンジできる土壌さえあれば、きっと皆戻ってきたくなります。

(鈴木コーヒー コーヒーのイメージ)
Q.鈴木コーヒーさんは、俊輔さんで三代目だと思うのですが新潟に拠点を置き続ける理由は何ですか?
A.これは、シンプルに新潟が大好きだということです。そして大好きな人々が概ね新潟人です。それに尽きます。
Q.会社を経営することで大切にしていることを教えてください。
A.ビジネスの原理原則だと思いますが、単純にお金を稼ぐのではなく、世のため人のためになるかということを常に意識しています。
コーヒービジネスにおいて、コーヒーが出てくるシーンを想像すればわかるのですが、喧嘩中に、コーヒー淹れようとは誰もならないですよね?恋人とカフェに行って語り合う時や、3時のおやつ、朝起きた時や心を落ち着かせたい時とか、人々がポジティブなシーンあるいはポジティブになりたいシーンにコーヒーは登場します。
だから、鈴木コーヒーは、コーヒーを売るのではなく幸せを売る会社だと常に思っています。コーヒーシーンの創造はハッピーシーンを創造してるってことなんです。
Q.幸せを売る会社。とても素敵ですね。幸せを売るうえで大切にしていることは何ですか?
A.大前提として、「提供する側が幸せでなければ絶対人を幸せにできない」ということです。だから社員にはいつも言ってますが「自分がまずハッピーになりなさい」って。だから社員第一主義を経営理念の一番に掲げています。

(鈴木コーヒー60周年の様子)
Q.佐藤社長なのになぜ鈴木コーヒーという名前なのですか?
A.鈴木コーヒーの創業者はうちの祖父(佐藤俊健さん)です。当時、中華食品の卸問屋の常務をやっていたのですが、太平洋戦争で日本が負けて、コーヒー文化が日本に入ってきました。
コーヒーブームが来るぞ、ということでそこの会社でコーヒー部門を立ち上げたのが始まりです。最初は全くノウハウがなかったため、東京にある鈴木コーヒーという会社で教えを乞うて、のれん分けという形で「鈴木コーヒー 新潟支店」を始めたのがきっかけです。
創設者も佐藤なので、佐藤コーヒーに何度も名前を変えるチャンスはありました。意味わからないですよね(笑)佐藤なのに鈴木コーヒーって。
でも、もし変えてたらうちの会社はなくなっていたというお話をしましょうか?
―何ですか。こわい!
A.長くなりますが、今から40数年前、当時の社長が祖父で、うちの父(現会長)が会社に入社したすぐのタイミングの話です。
祖父の傍らにAさんという全幅の信頼を置いていた専務がいました。しかし、Aさんがいきなり辞表を出してきたんです。その後、それに呼応するがごとく次から次へと社員がみんな辞表出していきました。
30人~40人程いた社員がたったの2週間で 3人になっちゃいました。翌月には、A専務と辞めていった社員を中心に全く同じ業種業態の「Mコーヒー」という会社が立ち上がりました。
そして、多くの得意先を奪っていきました。所謂、企業ジャックというやつです。佐藤家に残されたものは、大きな借金と、わずかばかりの得意先と、年老いた従業員3名でした。
1番信頼してた人間に裏切られた祖父は意気消沈し、もう商売続けることはできないと考えていました。しかし、父を中心に「ここで泣き寝入りしてはいけない、もう1回1からやろう」と、ビジネスを継続することを決めました。
初めの1年間は本当に悲惨で、仕入れ先・銀行・得意先に365日土下座する毎日だったそうです。
でも、多くの方たちの助けを借りながら、5年後にはAが作ったMコーヒーは倒産し、全ての得意先が戻ってきました。商売という戦争に勝った瞬間でした。
後で気が付いたことなんですが、Aが辞めるちょっと前から、「社名を変えた方がいい」と祖父にしつこく進言してました。祖父はAさんの言うことは大抵聞いていたのですが社名だけは絶対に変えなかったそうです。
もしここで変えてたら、彼らは「Mコーヒー」ではなく「鈴木コーヒー」を立ち上げようとしてたんですよね。ある意味ぞっとする話です。

(鈴木コーヒー スタッフとお客さんの様子)
Q.そんな歴史があったんですね。でも、そこから色々な事業を展開して今の鈴木コーヒーがあるんですね!佐藤さんは、どのような経緯で社長になったのですか?
A.自分は、割と運よく生きてるんです。(笑)大学卒業後にアメリカに留学に行って、その後、大手コーヒーメーカーに就職しました。そこで運よく全国一位の営業成績を残して、最後にはオリエンタルランドを担当させていただきました。当時の目標予算が11億円という桁違いの仕事をさせていただきました。
その後、鈴木コーヒーに入社しました。でも、そこからが修練の始まりです。帰ってきた私はいわゆる大天狗でした。自分より年上の社員に罵声を浴びせる毎日。信頼してた部下には「あなたにはついていけません」とはっきりと言われて退社させてしまった。
結果、会社から総スカンをくらいました。自分は営業マンとしては優秀だったかもしれないけど、組織のマネージャーとしては五流以下でした。
めちゃくちゃ反省して、1から営業をやり直させてくださいということで、当時、なぜか進出していなかった上越エリアを担当しました。やっぱり営業だけは得意だったので、次から次へとクライント生み出しつづけました。
それでも会社には認めらなくてかなり苦労しました。でも、上越にいったおかげで「雪室珈琲」という看板商品に出会い、コーヒーの力で新潟をPRできる!と確信し、結果今では全国に販売し当社の主力商品となりました。
考えてみたらその辺りから会社に認められるようになりました。31歳で専務になって、自分への楔の意味で「経営理念」を「社員第一主義」に創り替えて、そして33歳の時に会社の代表になりました。
今考えれば、良いことも悪いことも短期間でぎゅっと凝縮されていました。だから、過去本当にいろいろあって、大いに反省はしておりますが全く後悔はしていないです。だからこそ「今」があるからです。
Q.学びになることが沢山です。
A.だからなんでもチャレンジすることが大切だと思います。以前、Z世代にリサーチをかけたら、失敗したくないと言う考えが多くの人にあることが分かりました。失敗よりも安定をとりたいって。
ー私たちと真逆だ(笑)
A.でもそれって本当にもったいないなと思います。失敗って本当に学びしかないから。成功の反対は?失敗ってなるでしょ。でも失敗っていうのは失敗を繰り返して成功に繋がる。
だから、反対じゃないんですよ。成功の反対は''何もしないこと''だから。だから、成功したいのであればチャレンジすることがとても重要だと思います。
すごく背中を押されるお言葉です!ありがとうございました。
今回の取材では、鈴木コーヒーや佐藤俊輔社長の知らなかった過去を沢山知ることができました。天の上のような存在で、すべての言葉がすごく響き自分の価値観も変えられるような取材時間でした。
そんな、佐藤さんですが、昔はなかなかやんちゃだったとか。様々な世界に飛び込み挑戦しまくってきた過去が全てが今の佐藤さんの人柄に詰まっていると本当に感じました。「失敗は反省をしても後悔はするな。」本当に響く言葉です。これから、私たちも挑戦をし続け常に学んでいこうと思います!